今は連載終了した人気漫画に「魔人探偵脳噛ネウロ」という作品がありました。
あの漫画の主人公の名前の由来はニューロ、すなわち脳細胞のことですが、このニューロンという言葉にはちょっと奇妙な語感がありますね。古いような新しいような、神秘的かつ理論的なような。
ところで「ニューロマジシャン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
実はすでにこういう分野のマジックがあるというわけではなく、今回紹介の書籍の著者が名乗ったマジシャンのカテゴリーのことです。「脳神経奇術」とは如何なるものか?
というわけで今日は、マジックの専門書ではない書籍を紹介しましょう。
表題は「脳はすすんでだまされたがる」、副題は「マジックが解き明かす錯覚の不思議」となっています。
原題はもう少しシンプルに”Sleight of Mind”。これだけ見ると、最近流行りのメンタリズムの本かとも思えてきますね。2012年3月、約1年前に出版された本です。
副題をしっかり読み取れば、この本の意図も分かります。つまり「マジック」が「錯覚の不思議」を解き明かすということで、マジックは主題ではなくツールとして援用されているという形ですね。
この本の主題は脳が(すすんで)起こす錯覚の仕組みを解き明かすこと。そのためにマジックを題材として取り上げています。
とはいえ、全編に亘ってマジックの豊富な実例が挙げられ、その中のいくつかは簡単なタネ明かしもなされています。奇術的好奇心を満たすという意味でも、かなり充実した内容でした。
基本的にはマジックを知らない人向けに書かれた内容ですが、マジックを知っている人のほうが、紹介されている実例はすんなりと理解しイメージ出来るでしょう。
本は3人の共著となっています。スティーブン・L・マクニック氏とスサナ・マルティネス=コンデ氏は、バロー神経学研究所の研究室長。サンドラ・ブレイクスリー氏はサイエンス・ライターです。
この中のスティーブンとスサナの二人は、マジックにおける人間の脳と錯覚のメカニズムを検証するために、プロマジシャンに弟子入りしたそうです。そして実際にマジックを習い、あのマジックキャッスルのメンバーとして、マジシャンデビューを目指します。
この研究と修行の成果を一般向けにまとめた書籍である本書では、さまざまなマジックの実例において、脳の中で起こっている錯覚の働きを類型化して解説してゆきます。
そして最後には、著者ら自身によるマジックキャッスルのオーディション体験記まで入っています。
なお、読後に気づいたことですが、この本の著者は以前の記事「顕在的」ミスディレクションと「潜在的」ミスディレクション:なぜマジックに騙されるかで参照しました記事の筆者と同じでした。
よろしければそちらもご覧ください。
「脳はすすんでだまされたがる」の紹介
ざっくりと印象に残ったところを拾ってみましょう。
第1章から3章まででは、視覚的な錯視、いわゆる世の中で知られている「錯覚」のイメージに一番近い現象が取り上げられています。
対象の明度・色相の差による錯視、ブラックアート、残像、物体の輪郭検出、遠近感覚、運動錯視、周辺視野等々。
実例として取り上げられる対象は多岐におよび、ステージのイリュージョンからクロースアップ、コインマジックやカードマジック、スプーン曲げなど多数の実例が紹介されています。
さらにアートや建築の分野での錯視の応用、エッシャーやモナリザまでも取り上げられ、興味は尽きません。
このあたりのカテゴリーは、脳と錯覚の関係を問われれば、誰でもが真っ先に思い浮かべるような分野でしょう。
続く4~6章では、視覚というよりは心の働きによる錯覚が取り上げられているように思えました。
視覚的な錯覚では、実際に見える映像自体が現実とは異なって見えるということになります。しかし人間というのは、完全に対象物を視界に捉え、映像としては目に入っているにも関わらず、心の働きによって”見ない”場合があるのです。
この本で紹介されている「ゴリラの実験」が如実な例です。
被験者はあるバスケットボールの試合ビデオを見せられ、試合中のパスの回数を数えるように指示されます。そのビデオの試合中に、突然毛むくじゃらのゴリラが画面中に出現するのですが、被験者はパスを数えることに集中しているため、ゴリラに気がつかないというのです。
上記の例は見えているものを「見ない」例ですが、逆に存在しないものを「見る」場合もあります。例えば私のマジック実演で、こんな経験があります。
わたしは簡単なワンコイン・ルーティン(1枚のコインが消えたり出現したりを繰り返す奇術)を演じました。その演技の中で、コインを持つ手の形を見せるだけで、完全にフェイクの場面があります。つまりその箇所では手は空なわけです。
それにも関わらず、相手は「そのとき、その手にコインが光るのを見た」と言い張りました。
これは自分としても想定はしていない効果で、こういう要素をコントロールして実現できたら、マジックの可能性は広がるだろうなと思ったのを覚えています。
さらに続く7~10章では、視覚から離れて記憶、予測、選択などに関わる錯覚を解説してゆきます。
記憶というのは非常にあいまいなものです。あいまいどころか、全く架空の記憶が形成されることすらあります。
例えば伝説的なマジックや魔法というものは、誇張の意図がなくてもどんどん誇張されるものであるということを、インドのロープ魔術を実例にして解説しています。
予測と仮定、選択に関わる錯覚では、いわゆるエキボック(マジシャンズ・チョイス)、サイコロジカル・ミスディレクション、フォース等に関わる概念が紹介されます。
第11~12章はいわば終章でしょう。
12章は著者が史上初の「ニューロマジシャン」として、脳をテーマとしたオリジナルの手品でマジックキャッスルのオーディションに挑戦した体験談となっています。
観客が選んだカードが、マッドサイエンス的な未知の技術によって生成された脳の中に実体化する、というような筋書きの、なかなか面白そうな手順が描写されますが・・・
果たして彼らは無事にキャッスルのオーディションに合格したのでしょうか。それは読んでのお楽しみとしましょう。
上の4区分は私が読み取った感じから便宜的に分けてみたもので、実際にはこういう形でくくられてはいません。
個々の内容は非常に興味深く刺激的ではあるものの、全体としてはやや散漫な印象もないではありませんでした。多数の各論がちりばめられているものの、ちょっとまとめが足りない印象とでも言うべきでしょうか。
著者は脳神経科学の専門家ではあるものの、マジックの専門家ではないので、マジックの知識を体系的にはつかみ切れていないようではあります。
各論の奇術が結構詳細で、なおかつ扱うテーマが広いからという理由もあるかも知れません。
手品人としての視点から
この本はあくまで一般向けの内容ですが、かなりの割合で手品の手法を暴露した内容も含まれています。
しかし著者自身がマジシャンに弟子入りし、マジシャンの団体にも加入して倫理的な宣誓もしていますから、タネに対する配慮はなされています。
つまりタネ明かしが含まれる箇所には全て「ネタバレ注意!」の但し書きが冒頭になされ、フォントや組版も本文とは異なるものになっています。
望まない人に予期せずタネを知らしめることのないように、という著者の配慮です。
ただし、それらタネ明かしはあくまで本の主題を補完する資料としての内容であって、これを読んでそのマジックが出来るようになる、といった解説ではありません。
逆にこの程度の簡素な解説だけで、そのマジックを演じることが出来るような人にとっては、そもそも既知のマジックであるものがほとんどでしょう。
つまり手品教本として役立つことはまずないと言えます。
とは言うものの、いわゆるタネ明かし以外の部分で、私にとって実際に役立つと思えるような収穫もありました。
知的好奇心が満たされたとか、雑学が身についたといったことではなく、マジックの実演や創作に役立つと思える内容です。
著者らは、マジシャンが数世紀も昔から、現代の最先端の脳科学でも解明し切れていないような知識を経験的に知っていることを知り、驚嘆しています。
それと同時に、マジシャンはそれを知識として体系化はしていないと認識しています。
手品人のはしくれとしては、マジシャンとて全く知識を体系化していないというわけではないと思いますが、確かに学問としての確立にはほど遠いレベルではあるでしょう。
理論派のマジシャンはそれなりに居ても、理論に専念する奇術家は少ないと思われます。
脳神経学者はマジシャンから学ぶことによって、彼らの学問の飛躍をもくろんでいるようですが、逆にマジシャン側もその体系化された理論を逆輸入することによって、手品の方法論を強化できる可能性は多いにあるでしょう。
著者はこの本を「ニューロマジック」について書かれた最初の本であると述べていますが、確かに読後の感想としては、この分野の研究は端緒についたばかりなのだと思わされました。
いろいろな例を紹介して研究の可能性を示してはいるものの、まだまだ試行錯誤中で、結論を示す段階ではない印象です。
先ほど本全体が少し散漫な印象であったと述べたのも、このように結論が不在であるという理由もあるかも知れません。
今後さらにこの分野の研究がすすみ、第二第三の「ニューロマジック」の本を読んでみたいです。
さらに願わくば、その知識がフィードバックされた、新しい緻密な奇術理論書の出現も期待したいものですね。
読んでみましたが私にはイマイチな内容でした。
まず文章。翻訳本によくある英語的な言い回しが多く、情報過多な学術論文を読んでいる様で、理解しながら読み進めるのが苦痛でした。
あと著者の掲げる「脳神経奇術」の目指すものがエンターティメントなのか、それとも研究や教育なのか、ちょっとぼやけていて良く把握できませんでした。
唯一面白かったのは登場するマジシャンやアメリカのマジック業界の様子ですかね、マジックキャッスルへまた行きたくなりました。
まぁ今後の展開に期待でしょうか・・ かといって私は理論の追及には感心ないので、この分野はこれで終わりかもって気が致します。
確かに論文みたいな文章で、全体が散漫な印象だったのは、わたしも同意です。
マジシャンに関する描写の部分は楽しめる部分が多かったです。
著者ら自身の目的は、私の読み取ったところではエンターテイメントではないですね。キャッスルに出演したのは、余興というか、付き合いというか。
やっぱり彼らにとっての本筋は、脳神経科学の研究を発展させることでしょう。
しかしこの本の著者の言うように、マジックの理論がまだまだ体系として不完全なものであることは確かだと思っています。
こういうアカデミックな研究者と、マジシャンとの共同研究で、何か新しいものが生まれる可能性はあるのではないかな、というのは感じました。
僕もレビュー書こうかと思っていた本です。
やはり内容は散漫ですよね。
マジシャンとしてはしろうと、脳神経科学者としても若手だからと思います。
協賛マジシャンの豪華さには目を見張るものがありますが、結局たいした結論を得られないまま章が閉じることも多く、残念でした。
マジックに対する言及はありませんが、同じ分野の本であれば、ラマチャンドランの「脳の中の幽霊」が抜群に面白かったです。
やっぱり学者として若手だからという理由もあるんでしょうかね。
一般向けの本であるがために、著者らもあまり専門的な書き方が出来ないということで、結果として内容がぼやけてしまったのかも知れません。
が、それも含めて著者の経験不足ということでしょうか。
錯覚を脳科学から解き明かすというテーマそのものなら、確かにもっと面白い本はありそうですね。
ただ、それをマジックと結びつけて解説するというアプローチが、今回の本では面白いなと思いました。
願わくば、似たようなアプローチで、もう少し上手く面白く語ってくれる著者が現れることを期待したいものです。